ちょっとコラム   賢治と花巻
 花巻に生まれた宮沢賢治は父親との宗教上の対立から東京に出た一時期をのぞき、その一生のほとんどを花巻(学生生活は盛岡で送りましたが)で過ごしました。今も賢治のゆかりの地、記念の場所が市内にはたくさん残されています。まず豊沢町には生家の跡があります。いまは石碑が残るだけですが。若葉町の文化会館の隣、ぎんどろ公園は賢治の好きだったぎんどろの木とマグノリアの木が植えられています。元は賢治の勤めた花巻農学校のあったところ。風の子のモニュメントなど、賢治を偲ぶものがそこここにあります。雨ニモ負ケズの詩碑が建っているのは、農学校をやめた賢治が住居とし、羅須地人協会を設立したところ。一段低く、目の前に広がる田んぼは「下ノ畑ニ居リマス」と書いたその「下ノ畑」です。建物は花巻空港近くの花巻農業高校に移築されています。朝日大橋の上流、イギリス海岸では農学校の生徒たちと泳いだり、泥岩層の上で化石を探したり(賢治が古代クルミの新種の化石を発見しました)。若い賢治先生が生徒たちとふれあい、一緒に青春を謳歌しました。
 胡四王山には賢治記念館をはじめイーハトーヴ館、童話館などが並びます。そしてぎんどろ公園の近くの身照寺にはお墓が。
 花巻の町を自転車で走っていると、街角からひょっこり黒いコートに山高帽子で少しうつむき加減の賢治さんが現れるような気がします。
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